応援メッセージ まちの声
 ※寄せられた順、敬称略

下北沢は完成された町です。
他には無い独特の空気感を持った不思議で魅力的な場所です。
行政の杜撰な計画の為だけに、壊されようとするのは非常に許せなく、絶対に阻止しなければならないと思います。
是非宜しくお願いします。

下北の都市計画、みてびっくりしました。
このままでは街が潰されてしまいます。

かくいう府中も、再開発の波に洗われました。
府中と言えば、武蔵国の国府であります。
魅力的な商店街が軒を連ねておりました。

再開発されてから”街は死にました”
とこにでもある、ビルと車の街。
府中の個性が消えてしまいました。

意気揚々と進出してきた、都心型大型百貨店も
現在、閑古鳥が鳴いており、撤退のうわさもちらほらです。

下北のよさを、何もわからない公務員に潰されないように
がんばって頂きたくエールをおくらさせていただきます。

絶対守る、シモキタ!!!!!

以前は練馬区で、世田谷区は敬遠していたのですが、 結婚を期に3年前から下北沢に住み始めました。
驚いたのは「下北沢」だけは、世田谷区じゃなく「下北沢」だということ。
独特な雰囲気を持ったこの町が大好きになり、今後も住み続けるつもりです。
それだけに、今回の開発には憤りを感じます。
町は人が集まってこそ町。国だって、人がいなければ国じゃない。
私は下北沢にはとてもいい「気」というものが流れているように思います。
みんなそれに気づいているからこそ、集まってくるのだと。
お金をかけて大きな開発をするだけが、「まちづくり」じゃないことを 行政にはわかっていただきたいです。
下北沢には田舎に帰ってきたような、懐かしくゆったりした時間が 流れています。
それは、コンクリートじゃなく、人と人が時間をかけて 築いてきた繋がりがあってこそできた町ではないかと思います。

空の見える町を守るためにも、私なりの協力をしていければと 考えています。今後も活動がんばってください!

今年4月に東京に引っ越してきました。
25年振りの東京住まいです。

25年前に好きだった東京はもっと車が少なくて、
雪が多くて、道が子供の遊び場でした。
東京に引っ越しが決まったとき、
1カ月かけてそういう土地を探し回って、
下北沢から徒歩圏内のいまの家を見付けました。
このあたりは歩く人に優しい、素敵な街です。
いつかここで子供を産み育てたいくらい。

この土地が素敵なままでいてくれるために、
動かなければいけないらしいと知って、
ともかくもっと詳しく知るために登録します。

大好きな下北沢。
私にとって宝物の街が変わってしまうことは非常に悲しい出来事です。
何とかして宝物を守りたい。
自分にも何かできないかと思い参加します。

私は、兵庫県で小売業を営んでいるものです。

はっきりいいます。再開発は、現地にすんでいる人のほとんどを不幸にします。
私の住んでいた地域も道の狭い入り組んだ商店街の中で商売をしておりました。 行政主導で、なんども再開発の噂が流れておりました。
そんな折にあの、阪神大震災です。 街は、ことごとく破壊されました。

震災から一週間後、行政は、公聴会を開き、住民不在の中で再開発決定を行いました。 一応反対派は、詰め掛けたのですけど、夜中にずれ込み散会と見せかけて反対派が帰った途端に、採決を行い再開発賛成という結論が出たのです。 この再開発決定のために地域は、強固な建物を建てることができなくなり営業を諦めた多くの商売人は、転出を与儀なくされました。 地区内にあった建築業者は、なぜか不審火に会い転出することになり再開発に関する工事に関係することはなくなりました。

当時の建設大臣は、被災者に対して、税金で補填することは、自殺してでも税金を納めている人間がいるのに私有財産について補填することは おかしいと平然と言いきっておりました。 しかし、この建設大臣と某暴力団とK被告で、開発に関わった建築会社の株で大もうけして一大派閥を作り上げたことは有名な話です。

まず、地上げが始まりました。
地上げのプロは、公共事業でここに留まっていると強制収容で強制的に立ち退きにあい、このままいると補償金もでなくなるぞと老商店主などを脅しつけました。 震災の痛手でほとんど客足の減ってしまった、商店主は、泣き泣き30万ぐらいの引越し代で転出していきました。 そして時々、不審火が起きたりして、とてもここに留まることは怖くてできないと出ていくひともおりました。

歯抜けになった無気味な商店街に客もだんだん寄りつかなくなってきました。
どうしても立ち退かない商店主には、駅の階上に仮店舗を作るので、そちらに移転しないかという話で、立ち退かせました。 この話は、まったくのウソ話で一私企業の土地の上にそのようなものを行政が勝ってに建てられる訳もありません。

7割近くの人が転出していった段階で今度は、徐々に工事を始めました。
建て壊しの粉塵が舞い散る中でとても商売なんかなりたつわけありません。
それでも、同志を募り、私は、行政に対して審査請求をしました。
しかし焼け石に水でした。
新しい再開発ビルに入ることを餌に、転出にサインした人も途中で担当者が変わって約束を反故にされ、自殺する事件も起きました。

そして輝かしい再開発ビルは立ち上がりました。
もともと現地にいた商売人の数は5%にも満たしません。
転出のわずかばかりの補償金をもらった人たちもいまは、どこにいったかわからない状態です。 場所を移って顧客のいなくなった状態から商売をスタートさせても、そんな都合よく客は戻ってきません。

開発によって誰が幸せになったのか?
ゼネコンとそれを口効きした大物政治家だけじゃないでしょうか?
ちょっとあんまり詳しく話すと私自身狙われかねないのでこれぐらいのことしか言えないですけど。

現状の再開発は、地域の人を確実に不幸にします。

下北が好き たくさんの大切な思い出のある場所
先日 「お金を貯めて家を出る」と独立宣言をした10代の息子にも 下北のような場所で いい時間を過ごしてほしいと思う

わたしはしもきた生まれ現在 滋賀在住のサラリーマンです。

2週間くらい前の日経の朝刊の経済教室に興味深い記事がありました。それは「一 つの都市でのビルなどの建設計画については、近い将来、新たな環境基準が設けら れて規制がきびしくなる方向にいく」というような内容だったと思います。しもき たを例のとれば今のままのほうが、高いビルができるよりも当然、環境負荷は小さ いわけでして、東京都全体として見てみると、どっかの都市(たしか埼玉)で適用 になってる基準をベースにすると、東京ももうはるかに環境負荷オーバーだそうで す。

この点を都に訴えられないだろうか、と思いました。たまに東京へかえるとあっち こっちで新しいビルがたってます。 昔のまんまの姿を残す そういう地域が広い 東京にもっとあってもいいのではないか。それが下北沢だったらしもきた生まれの わたしにはこのうえなくうれしいことです。

滋賀でも新幹線新駅を京都と米原の間につくろうと前知事が強行しようとしたとこ ろを県民がノーをつきつけました。

しもきたも区民の意見を無視した強行に待ったをかけるよう期待してます。

いきなりですが、、私は下北沢が好きだ。
音楽が好きだからとかじゃなく、町として好きだ。
若者からお年寄りまで様々な年齢の人が街中を歩き、様々な文化?と言うか歴史みたいなものがある町。下北沢。

あの町に流れる空気がとてつもなく好きでしかたがない。落ち着くのだ。時間の流れが心地いい。すれ違う人の目が輝いて生き生きしているような気がする。
そんな町を、空気を歴史を。壊したくはないし失いたくない。

長々と偉そうな言葉で私の想いをつらつらと打ってしまいました。。
こんな私でも力になりたいです。よろしくお願いいたします。

大正一桁生まれの祖母は、カトリック世田谷教会のルルド(教会の裏手にある、フランスのルルドに出現したという聖母マリアを再現した岩壁と像)に寄り、スズナリの横を通って、駅向こうのピーコックへ買い物に行きます。祖母にとって、嫁いでから60数年来、世田谷教会のルルドのマリア様は心の拠り所です。都内の多くの教会が近年現代建築へと建て直されて行く中で、世田谷教会は、こじんまりと昔ながらの佇まいを維持しており、小さい教会の割りに広い庭と、他に類を見ない立派なルルドはそこだけひっそりと時間が止まっているような空間です。

しかし、54号線のために、そのルルドが壊されてしまいます。 シモキタに行く度に、祖母は街が大きく変わろうとしていることを淡々と話しますが、寂しさが滲み出て、胸が痛みます。

一方で、実は祖母は昨年まで自分で運転していたので、車の便利さは高齢であるだけに痛感している人間ですが、下北沢は「歩く街」であると思っています。住民が不便を感じていないところに、なぜ54号などという環七並みの広い道を、税金を投じて通す必要があるのか、全く理解できません。

世田谷区で生まれ育った1人として、
これ以上ノッペラボウな街が増えることを
黙って見過ごすわけには行きません。
街は住む人のもの。
行政の役割は、
住む人にとって暮らしやすく心地よい
空間をつくるための手助けをすることです。
住む人の声に耳を傾け、
ほんとうの街づくりとは何かをともに考えるよう、
世田谷区には真摯に取り組んでもらいたいと願います。

もったいないの精神で、素敵な街作りをしている熊本の工務店社長、山野潤一さんを取り上げた番組を見ました。捨てられるはずの建材やガラスのパーツまでがとっても素敵なお店などによみがえっていました。日本家屋の立派な柱もそのまま、町並みはなんともやさしく新鮮でした。
下北沢もこれまでの街並を壊さないでと願います。

私は東松原(環七の近く)に住んでいます。
久々に終電にまにあわなくて、先日タクシーにのりました。 ベテランの運転手さんとのおしゃべりの中で聞いた話しです。 東京の道路は、昔、昔、東京(江戸かな?)が開けていった時代から使われているのだそうです。人口が増えても自動車の利用が多くなっても無理にかえることなく使われてきたのです。文化でもあるんですね。 その運転手さんに言わせると、今の道路で十分だそうです。
最近は迷惑な自動車はだいぶすくなくなったように思いますが、あの道路が強行されると心配です。 かならずしも良いドライバーぱかりではないからです。 下北でも夜間に無理な積載をして看板をこわしていったりする自動車の被害をいくつか聞きました。渋滞って道路をつくっても解決しません。混雑税でも導入してほしいです。

最後に、街づくりのなかに、問題点だったり、ちょと気付いたことやアイディアなどを気軽に言えるところがあるといいなって思います。

下北沢大好きです。
大学では景観論やレジャー文化について学んでいます。
また私は多摩ニュータウンに住んでいるのですか、これまでいくつもの先の見えない開発を目にしてきました。

町並みは遺産です。
活動に参加できるかは分かりませんが応援しています。
学校や友達にも下北沢のこと話しています。
市民の声が届くように頑張りましょう!!

町に猥雑さが必要だ。世田谷区はその事を理解していない。いったん決まった計画を変更せず、融通を利かせない。この計画は撤回すべきだ。若者文化の活性化が高齢化で衰退する日本には欠かせないことを行政はわかっていない。

シモキタに来て23年になります。来た当時は落ち着いたしゃれた町でしたが、今は流行も変り、元気で面白い町になりました。どちらにしても、巨大な駅前歩道橋と駅ビルのない町だからこそ、好きです。直線しかない町でないので、楽しいです。

私は頭が悪いのでことばもへたなので、あの街に感じる魅力も自分がどれだけあの街が好きかも、私の周りの人達がどれだけ下北が好きかもうまくは言い表せませんが、今回の話を聞いた時、及び今に至るまでの心の中のもやもやと苛々は筆舌に尽くしがたいです。くるりの岸田くんが以前に、世田谷線旧型車両を残そうキャンペーンの時,「文化程度が低過ぎる」「ノスタルジーで言ってるんじゃない」と言っていたのを思い出します。こういうことを文章にしようと思ってもなかなかうまく言い当てずもどかしく、言葉にする機会はありませんでした。Save the 下北沢のサイトを読むうちに、自分にできることは行動に移したいと思うようになりました。署名、今度、送ります。よろしくお願いいたします。

005年に大学の卒業制作の場として下北沢を選んだ。
道路計画に疑問を覚えた。

確かに様々な面で下北沢には危険が潜んでいると言える。天災時の危険性は拭えない。しかし、街の歴史や雰囲気といったものを破壊してよいものではないと思う。下北沢をみる視点は人それぞれで良い。その違いがあるからこそ「下北沢」であるんだと思う。ただ、様々な解決策を住民や「下北沢を好きだと」言う人たちと共同で考える必要がある。行政の方にもその考えを取り入れて欲しい。街や都市は時間によって変化するし、それは悪いことではないと思う。ただ、よく考えてほしい。

下北沢は文化だと思う。

今日で三回目のシモキタです。
ビラを見て知りました。
ライブハウスや
映画にしか出てこないような、
柱時計いっぱいの古美術店など
こんな稀有な町が一つなくなっていくのは
絶対に反対です。

街づくりを考えるとき、地べたに刻まれたまちの歴史、人々の営みを大切に、コンセプトとして生かしてほしい。下北沢の街は幸運にも戦災に遭わなかったため、古い建物や路地があちこちに残っている。

森厳寺に行って、淡島の灸で有名だったお堂の前の石作りの獅子や灯篭、水屋を見て。天保、文化の江戸時代、下北沢村で商いをしていた道具屋 仙蔵、八百屋 平六、芋屋 新平という寄進者の名が刻まれている。下北沢って下北沢村の頃から、商売が盛んだったんだ。
江戸市中に近いという地の利を得て、お茶や筍などの生産物を大八車に載せて坂を上がって行く姿が目に浮かぶ。戦後、闇市から発展した下北沢駅周辺の商店街は銀座や六本木、新宿でもない庶民の街、気楽に行ける街として、生き延びてきた。

そういう下北沢のまちに、大きな道路や高層ビルはふさわしくないし、行政が強行することになれば、世田谷の先進的なまちづくりの歴史に汚点を残すことになるだろう。

私は下北沢に行ったことはありませんが、音楽を愛する者、アートを愛する者として、そういった文化を育む場である下北沢を破壊するような計画には断固反対します。

ブログでの署名集めに協力させて頂きます。

10年間世田谷区船橋に住んでいました。
シモキタは船橋に近く、会社帰り、休日問わず、よく通った街でした。思い出が溢れ過ぎるほどある街です。

ここ数年の東京は街が画一化されていて、街の匂い、雰囲気が どこも同じ感じを受けます。シモキタまでそうなってしまっては とても悲しい!
いつでも誰でもどんな時でも受け入れてくれる街、 シモキタに理不尽な開発は必要ありません。

私の愛する音楽を愛するアーティスト達が大きく成長し、羽ばたいて行った愛すべき場所。
何も知らない大人達が、勝手に奪っていいものではない。

環境だけでなく、人の心まで破壊するのか。

最近下北沢に越してきました。私はこの件に関して大変無頓着でした。以前は高円寺に住んでましたが、勿論道路は通して欲しくありません!!ギリギリです

下北には行ったことはありませんが、アドマチック天国で見る限り、私にとっては天国のように素晴らしいごちゃごちゃ感のある街のように感じました。

今回の行政の企みは、ただの暇つぶしか、金儲けの為としか思えません。

良い街は一つでも多い方がいい!なので微力ながら皆さんとともに阻止したいと思い、参加登録をさせていただきました。よろしくお願いします。

すべての抑圧的な行動が嫌です。
大切に営みを繰り返し、 つくられてきた文化が奪われていくなんて、許してはいけない。

何もしなければ、 この先何にも残らなくなってしまうのではないのかな。
自由も、人らしい生活も。

下北沢の問題を通して、不安になることがたくさんあります。 大切なものが消えてしまうのは嫌です。

20年前に下北ナイトクラブという店をつくりました
(後にZOO→スリッツと改名)もうなくなっちゃったけど
たいへんお世話になった街です

今は島に移住してしまいましたが下北沢には17年暮らしました
長年住んでいても地図を書くのが困難な 細かく入り組んだ路地
秘密にしておきたいのか と思うような小さな店を発見するよろこび

役者の ミュージシャンの ライターの ギャンブラーの
ただの飲んだくれや 不良 無数の恋人達の
何十年にもわたる 昼と夜のしみ込んだ街
その匂いが街の魅力

再開発ってなんのこと?
ビルと道路をつくる人たちがお金をもらうために
街をひきかえにしていいと思う
そんな風に考える人たちは あの魅力的な夜の匂いを知らないんだね

だれか教えてあげてちょーだい

初めまして。テレビで皆さんの活動を拝見し、是非がんばってほしいと思い、メールさせていただきました。

僕の住んでいる町は、阪神大震災のときに被災し、ほぼ完全に破壊されてしまいました。その後に、行政主導で再整備が行われ、ほぼ街も完成しましたが、その経験からお話させていただければと思います。もちろん、僕はただの住人で、商店主でもなく、また災害からの再整備と、現在の街を取り壊しての再整備とでは事情が異なるとは思いますが、住人の感情としては似たようなケースだと思います。  

地震があった際に、建物の倒壊や火災などが広がることを考えると、広い道路や広場が必要であるというのが行政の計画の趣旨だと思いますが、僕も少し都市計画を大学で勉強したときに、やはり同じようなことをいっていました。経済的効果や交通の便のよさを含めて考えた場合、理論的には行政の計画は正しいとは思いますが、住民の感情やその土地で育った文化の大切さなどが考慮されていないと思います。行政の人たちはおそらく、今まで勉強してきたことを教科書どおりにしか実行出来ないのではないのでしょうか。街づくりなどには文化的なアプローチが必要だということは、おそらく大学などでは勉強していないのではないでしょうか。その辺が、日本の文化的未熟さだと思うと非常に残念に思います。  

僕の街も、被災する前は路地が入り組んだ下町情緒にあふれたいい街でした。今は、きれいなビルが立ち並び、道路も広くなり、外観はきれいですが、人通りはほとんど戻っていません。被災しないで残っていた部分も、再計画の下に取り壊されてしまいました。下北沢も一部が取り壊しとなっていますが、おそらく一部を変えると町全体が最終的には変わってしまうと思います。

行政の計画を覆すというのは、理論的根拠などがいると思いますし、文化や人の感情などの不確定な要素で説得するのは難しいと思いますが、取り返しのつかなくなる前にうまく解決できるように応援しています。

街自体が下町風味の癒し系。それが下北沢だ。
東京特有の「便利さ」や「速さ」は無機質や翻弄を生む。
一方で、お店の数だけトキメキがあるシモキタ。
危機管理の問題は「地域のパワー」でカバーできうる。

下北に大きな道路?
センスなさすぎるよアンタたち。

反対!絶対反対!!茶沢通り殆ど渋滞ないのになぜ環七に抜ける道が必要なのか??茶沢通りなら梅ヶ丘通り・淡島通り使えば良いじゃないか!!それに246だって通っているのに・・・

他の街に似たような街なんて要らないはず・・・あんな大きな道作ってバスが下北の駅に来れるようになったって人なんか来なくなるだけだよ!!井の頭通りみたいなさびれた街になるのはゴメンだよ!!下北は下北。そこのところ行政も分かってくれなくちゃ・・・

下北沢から離れて25年経ちました。
当時は代沢2丁目に住み、代沢小学校、富士中学校 と通い、時間があれば南口商店街を歩き、友達の本屋や 駄菓子屋などに寄り、茶沢通りを自転車で走り回って遊び、下北沢の中で育ってきました。

今や音楽と演劇のメッカになった下北沢はワタシの幼少から思春期までの原風景です。 下北沢の踏み切り前にある金子総本店(金子マリの実家)は 当時の仲良しだった友人の家でもあり、音楽つながりで言えば 「ロフト」や「ジャズ喫茶マサコ」などの前を何度も通ったし、今でも店が続いているのはある意味驚きでもあるが、さすが下北沢だからこそ人々に愛され続けてきたからであろうと思います。

30年以上も人々によって芸術がはぐくまれ続け、発展し続けた文化を壊さないような”スマートな行政”を人々が絶望的に期待していると思いますが、私利私欲金欲にまみれた政治家がはびこり続けるならば、人々は自分達で立ち上がり、守るべきものをきちんと守るために主張し続けていけば良いと思います。

ヨーロッパで2年近くさまざまな街を見てまわり、20年以上暮らした東京の街を初めて好きだと言えるようになりました。世界で見ても極めて特別な街東京を、為政者はどのような気持ちでどのように変えていきたいと思っているのか、かなり頻繁に疑問に思うことがあります。

都市はそこに住む人間の思考回路と重なるもの、いくら効率よく循環する環境があっても、蓄積する記憶が失われてはそこは住むためのマシーンと同じ、乗り物の上や人工衛星に住むのと同じだ。下北沢の街の成熟度と、東京で生活する多くの人がその街の生き生きした力を頼もしく思って生きているという現実を少しでも理解できれば、為政者はその場所をただの通過交通のための空間に変えてしまうことがどれだけの暴挙か、理解できると思うのだけれども。為政者には生活している人が誇りに思える街の姿に目を向けてほしい。

新宿ロフトにライブに行った時に頂いたチラシで知りました。私は今まで多分2回くらいしかシモキタには行ったことがありません。最近よく代々木へ行くので、電車賃を安く上げる為に新宿から藤沢まで小田急を使うので、通過はしているのですが…。

ただ、とにかく、無意味な行政の計画と、それを強行しようという姿勢が許せません。私の実家のある県でも、必要のない空港を知事が強行姿勢で計画続行していています。市民の税金を市民の必要としないどころか生活の妨げにしかならないことに使う。そんなに都市化は必要なのでしょうか?外向きのコギレイさがそんなに必要でしょうか?

以前、代官山は個人の楽しい店が並ぶ町でした、が、今は、駅前にどこにでもある白い箱のショッピングセンターができ、全然興味ないのですが一度トイレを借りようと入ったことがありますが、それこそ面白くもなんともない、ありきたりのそこそこ高級だけど手が届く、といったレベルのテナントで埋め尽くされていた気がします。

そんなことを下北でもやってほしくありません。環境うんぬんと言うくせに車の通りやすい大通りを作る、とは矛盾しています。台数は増え、事故も増えると思います。もちろん環境にいいわけありません。この計画に意味がないことは明らかですが、役人はどうしてもいったん立てた計画を考え直すということが苦手なようですね。考え直してゼロに戻す、ということの大切さをこの際考えて欲しいです。

それから、私のサイトからもリンクさせてください。色んな人に知って欲しいです。
http://moyann.sakura.ne.jp/moyann.html

僕は15年間、小田急線沿線のある学校に通っていて、中学・高校時代は放課後の多くの時間を下北沢で過ごしました。あるときは友人たちと買い物を楽しんだり、またあるときは一人で夕暮れに染まる町並みを眺めたり・・・。

僕の青春は下北沢と共にありました。 それらの日々を思い出すたびに感じることは、下北沢というのは本当に他の街とは全く異質の、独特の情緒がある街だということです。下北沢に寄らなくなって久しいですが、下北沢の駅を降りたときに感じる独特の「空気」は、今も僕の五感に焼きついています。

行政の発表した完成予想図にある街は、確かに整理されていて"きれいな"街ではあります。しかし下北沢の無秩序が生み出す居心地の良さや人と人との暖かい交わりを、その街が作り出すことはできないでしょう。 経済的な合理性を超越した「価値」が下北沢にはあることを、多くの人々に伝えていきたいと思います。

16歳で高校を辞め家出をしてシモキタを彷徨い、シモキタに風来坊として暮らした日々が、わたしの今の「モト」です。「モト」は、さまざまな混乱をはらみつつ発酵し、熟成し、なんだかおもしろい人生をやっています。

  30代は代々木上原に住んでいたので、やっぱりシモキタが我が家の庭でした。今でもわたしの芯はまっすぐシモキタにつながっている。 シモキタがシモキタでなくなるのは、辛くせつなく、許せません。

下北沢に住んで4年目になります。丸3年住んでみて、でかい道路がほしいと思ったことはただの一度もありません。 住んでみていらないんだから、本当にいらないんだと思います。文化を、愛するものを守ろうとする活動に賛同します。

車の通る大きな道もなく、ゆっくりと散歩しながら、お店をのぞきながら、街の中でなごむことができる場所はそうありません。

そんなシモキタにしかない雰囲気を壊すことは絶対にあってはならないと思います。
街がもし変化させられるのであれば、それはその街を好きな人たちがもっと幸せになれるような変化でなければならないはずです。それが行政の仕事ですよね・・

署名はだいぶ前にしていましたが、思うところあり、もうちょっとこの活動に突っ込んでみたいと思いました。微力ながら、何か力添えをできることがあれば幸いです。

現在、事務のアルバイトをしながら写真学校に通っている25歳の女です。

私の住んでいるところは戦後に祖父が新潟から移り住んできて近所の人もその頃からずっと住んでいる人ばかりでした。だけど、最近になって高層マンションの建設ラッシュに伴って知っている人がどんどんいなくなり、私が小さかった頃の町の面影すらも殆どなくなってしまいました。

目先の利益だけを見て今息づいている物をむやみに壊してしまう今の風潮が私は悲しくてたまりません。下北沢が私の住んでいる町みたいな事にはしたくないです。

署名のほかにも何か何か具体的に出来る事があれば
お手伝いさせていただけないでしょうか?

はじめまして。

昨日のSOS弾き語りの夕べに参加させて貰ったものです。
色々考えてみて、自分の中で思ったことがあったのでメールしてみます。
ちょっと目を通していただくだけで結構です。たいしたこと書いてないので・・・

私自身は千葉に住んでいるので、ライブ以外の用事であまり下北に行くことがなく、素敵な街だなあとは思うけれど、そこまで思い入れとしてはないのが実際のところです。
昨日も、好きなアーティストが出るから、という理由で足を運びました。実際、多くの人がそうだったと思います。
海北くんが言っていたように、下北開発に反対の人がこうやって行動を起こしている。
ただ、それは全ての人ではなく、その開発がありがたい人も少なくはないんですよね。

私はもちろん、この運動を応援したいと思います。

しかし、もしそれでもどうにもならなかったとき、このままではきっと今こうしてSOSに「好きなアーティストが出るイベント」として参加しているわたしたちは素敵な街だった下北沢のことを忘れてしまうでしょう。
11・17に渋谷で峯田くんを見たなあとか向井さんを見たなあとかそれだけの思い出に留まってしまうと思います。

人気のあるアーティストがこうして集まってくれることによってたくさんの人にSTSKのことはSOSのことを知ってもらえることは素晴らしい。
そしてもう1歩、何よりも大切なのは、もし道路が出来ても出来なくても今のこの素晴らしい下北沢を皆が忘れないようにすることじゃないでしょうか。

署名運動や、広告も大切ですが、今下北沢がどれだけ素敵なところなのかそれをもっともっと皆の脳裏に焼き付ける事が必要ではないでしょうか。

そうすればきっと、もし下北が高層ビルや巨大道路の下に消えてしまっても下北沢はずっとずっと素敵な場所であり続けるところなのだと思います。

まとまらないですね・・・

長文失礼しました!これからの活動応援しております!

下北沢を壊さないでほしい。
安心して歩けるいつもの下北で良いと思う。
反対住民がいるのに押し進めるは役人のエゴではないか?

下北大好きです。
小さい頃から良く下北に行っていて、下北で出会ったものや、影響されたものが多くあり、また、それが今進路を決める材料になっているほどです。
きっとこういう人はいっぱい居ると思います。
SOSのトモフスキーさんの歌にもありますが、街が変化することはかまわない、ただ、街の魅力が失われるようなことだけはあってはならないと思います。

これからも頑張って下さい。

僕にとって、初めて見つけた居心地の良いところです。
新宿や渋谷などには感じなかった何かが、下北沢にはあります。
石原都知事は好きです。でも、この計画だけは勘弁してほしい。
「下北沢」が無くなるわけじゃないけど、この計画が実行されれば「下北沢らしさ」が無くなります。
大きな道が出来れば、車の騒音がシモキタらしさを奪います。
今、行政は再開発をいろいろなところで行っています。
何でも綺麗にすればいいというものじゃない。
何でも整備すればいいというものじゃない。
味の出た街並みを、真新しいコンクリートで横断しないでください。
お願いです、小さな路地を散策して自分の好きな店を見つける喜び。
奪わないでください。

下北沢に住んで、もう9年になります。
たまたま縁あって住み始めたわけですが、住めば住むほど、この街の魅力が身に染み付いて、多分東京にいる限り、引越ししても下北徒歩圏内以外は考えられないです。道は狭いし、踏み切りは開かずの踏み切りだけど、そんなに不便を感じることはないのでは??むしろ、このごっちゃり感があったかい雰囲気を出していて、みんな集まってくるのではないかと思います。
この昭和の匂いがいっぱい残った下北沢を、このままの形でずっと存続して欲しいと思います。何かお手伝いができることがあったら教えてください。

この8月に15年間離れていた下北沢に戻ってきました。生まれ育った下北沢が住民にとって住み良く、誇れる地域となることを心から願っています。これまで大手建設コンサルタント会社に勤務していたのですが、昨年、退社して個人事業としてコンサルタント業務をしています。作ることを目的とした公共事業を多く目にし、手がけてきたこともあり(こうした点も嫌気がさして退社した理由のひとつなのですが・・・)、今回のことは興味深く注目しています。欧米型の、住民参加による、真のPIが進められ、誰もが笑顔になれる街づくりを期待しています。

はじめまして。少し前にこのサイトで署名しました。
 この計画はただ一部の人達の利益のためのものと想像してしまいます。絶対に反対です。安心して歩ける街、そして住みたい街ランクの上位に支持される下北沢を守ってほしいです。
 さて、偶然に見たある番組がとても印象に残ったの少し書きます。イギリスとドイツにできたトラム(路面電車)と街づくりについての内容でした。多くの人に利用してもらうために大型の駐車場を作り(車の人はお乗り換え)、また歩行者の安全に配慮した道幅を作り、トラム商店街を通る時は低速運行、などなど。結果として、若者から高齢者、障害者まで多くの人が利用しています。ずっと街に出かける人が多くなったのです。(ちなみに中心になった人は大学の先生でした)
 個人の車の利用を押さえて環境に配慮する、電車の車高を低くして危険性を極力排除するなど、日本の状況と比較してしまいました。実家のある小金井市は駅前開発でもめにもめています。駅前ビル建設、活性化の言葉だけで街がよくなると思っている人達はゼロから考え直してほしいものです。
 最後に、仙台に住む親友から聞いた話ですが、仙台市内の主な道路は全部バリアフリーになっているそうですよ。

下北沢は近いのでよく行くお気に入りの町です。最近このサイトを友人に教えてもらって、来てびっくり。まさか道路補助54号線なんてものが計画されてるなんて、非常に驚きました。
私のような高校生でも参加できるようなことがあったら是非参加してみたいです。受験勉強で忙しいのですが、大好きな下北沢の危機を放っておくわけにはいきません。
どうかよろしくお願いします。

「シモキタ」その響きだけで胸がときめく。下北ほど独自の文化を持った街なんてどこにもない。ごみごみしてるんだけど、なぜだか心安らぐ。ゆっくりだらだら歩いていい。私は新潟出身で完全な田舎者だ。そんな田舎者にも下北は優しい。新宿とか渋谷のようにがさついたモノがなくて、人情味あふれてる。音楽が好きな人間にとって、下北は絶対に必要だ。たくさんのライブハウスがある。ミュージシャンを育てる包容力もある。何より、多くのミュージシャンに愛されている。ミュージシャンだけでなく下北を愛する人がたくさんいる。私は方南町在住だが、いつもライブを観にいく下北が変わってしまったら嫌だ。

最後に下北の朝は本当にきれいだと思う。

本日初めて下北沢に行き、独特の雰囲気に魅了されました。
行政の計画は都内での自動車使用を推奨するものであり、先日採択された京都議定書にも反しているものだと思います。
私も下北沢の開発計画に反対です。活動頑張ってください。
去年、福岡から大好きなバンドを見に、下北沢に行きました。
福岡も音楽が盛んだけど、下北沢ほど素直に楽しい場所はありませんでした。
そして今年私は大学受験をします。そしてもし上手く受かったら、下北沢に住むという、夢も持っています。
だから、数えるほどしか行っていないけれど、あの大好きな下北沢の風景を守ることができるなら、お手伝いさせていただけないでしょうか?よろしくお願いします。
演劇の街下北沢を壊さないで欲しい。
私も舞台等に出演していた経験があるから、下北沢には特に思い入れがあるんです。
高校生の頃、ファッションデザイナーに憧れて下北沢を奇抜なファッションでしょっちゅう歩いてました。下北沢はみんなの夢のある街なんです。
壊さないで下さい。
東京出身の京都在住です。
下北沢は大好きな街と同時に憧れの街です。
京都からですが、なにかできることはありませんか。
下北にどこにでもある街にはなってほしくないのです。
学生時代に好きだった下北沢。
社会に出ても、何度も機会を見つけてぶらっと寄った下北沢。
下北沢が好きな人は、人生を通してずっとこの街と付きあう事になるでしょう。
もし計画が強行されて「小綺麗なだけの町」になったら、下北沢が好きであった人達は、その新・下北沢との付きあいをやめるのではないか?
行政は下北沢をより良い街にして活気づけたいのではないのか?
人の足が途絶え、タダ単に住むのに快適なだけの、つまらない町にしたいのか?
国民、住民、利用者の利便を考えず、ただ行政&業者の犠牲にするには非常に勿体無い街であることすら、わからないのか?なさけない。
下北沢は父の店もあり思い出深く今でもよく歩く街です。
このガサガサした個性はお金でつくれるものではありません。
長い歴史を経て自然に人々の手でつくられたもののはずです。

これ以上無駄な金を使い、個性の無い街を建設することのどこに
有用性があるのでしょうか。断固反対します。


下北沢にしかない下北沢らしい下北沢が好き。

典型的郊外出身 → 元下北沢住民です。
下北のユニオンで、曽我部さんのCDプロモ絡みでこの運動を知りました。

元住民という個人的思い入れもありますが、それ以上に、街の在り方・都市の在り方を考えた場合に、下北沢や自由が丘のような、諸要素が時間をかけて堆積してきた重層的な街のモデルが、画一的で単純で雑駁な(ゆえに失敗の側面が多い)従来型の開発計画モデルに潰されるのは、日本中でそうした「郊外化」が急進展する中、文化的にあまりに損失が大きいと考えています (くるりの岸田さんもご指摘されているように)。寧ろ、それ以上に頭を使って、既存の良さを活かした、新たな計画の方向性を作り出していくべきではないか…と思っています。

私にとって、下北沢は10代と20代の青春の絶頂期を過ごした場所であり、今でも毎週日曜日コーヒーを飲みに通う街なのです。結婚前から通っているカフェがあり、結婚した今も夫婦で毎週行っています。どの時代も人生の中に必ず登場する街なのでとても大切に思っています。
どこまでも続くような長い坂道や踏み切りの音、どこにもないこの街並みを変えてしまうのはあまりにも悲しすぎると思いました。東京に渋谷とも新宿とも違うこういう街がひとつくらいあったっていいじゃないですか。


涙出てくる。

はじめまして。ホームページ拝見しました。
私も三ヶ月前に下北沢の街に憧れを抱き、この地にやってきました。たった三ヶ月、と思われるかもれませんが、下北沢の街を愛する気持ちは誰にも負けないつもりです。アルバイトの関係上、活動に参加出来る時間は限られてしまうし、みなさんに迷惑をかけてしまうかもしれません。でも第二の故郷とも思える下北沢の街を、行政の独断だけで変えられてしまうのを黙って見ている事は出来ません。
自分がここで何もしなかったら、もし再開発が決定し、下北沢の街が壊されていったら、一生後悔してしまうような気がします。特に何の才能もありませんが、少しでもみなさんの力になり、下北沢のためになれば、と思い参加を決意しました。

この春に上京したばかりの大学生です。
下北沢へは何度か足を運び、街の写真を撮ったり、美味しい店を探したりしています。なんというか、カテゴライズされてない街で、面白いことはなんでもあってそれが溢れて、人が本当に楽しそうに歩いてますし、田舎から出てきた身としては、都会ながら好きになれた初めての街です。
まだ、計画や対する反対意見には全部目を通せてはいない状況なのですが、非常に興味を持っています。
良い街は良い街のままで残していってもらいたい、という気持ちは強いんです。地元(秋田なんですが)の街は、郊外に大きな道路が通ったとたん、巨大店舗が立ち並んで、商店街が廃れていってしまいました。
モノは凄く多くなって便利にはなったんですけれども、実際に暮らしている街があんなふうになるというのは、嬉しいことじゃないです。だんだんと、若い人で新しい店を出したりもしていて、寂れてくだけじゃない、という感じもあるんですけどね。
まだまだ、学生の身分ですし、何が出来る、というわけではないんですが、力になれることがありましたらやっていこうと考えています。頑張りますので、頑張ってください。

街を愛することは、人を愛することに通じるのではないでしょうか。

好きな街=好きな人がいる街
ずっと住みたい街=ずっと一緒に居たい人がいる街
来るとホットする街=逢うとホットする人がいる街
守りたい街=守りたい人がいる街
思い出のある街=思い出になる人が好きだった街・・・

街を愛し、人を愛する・・・「一過性ではない」ことが共に重要だと想います。
大森さんが好きだった街=下北沢を守ろう!
※ブルーレターは大森信和さんのファンによる追悼イベントを予定しています。詳細はホームページをご参照ください。
http://www.remember335.com/index.htm

21日のイベントでもスタッフ登録の紙に電話番号書きました。
道路の事はひどい計画だけど、このことでたくさんのシモキタを愛する人たちが立ち上がって団結しているパワーに感動!私も何かするぞ!
下北沢という街は、迷ってなんぼの街だと思います。
ゆらゆらと歩いているうちにどこを歩いているのかよくわからなくなって、そこに思いかけずおもしろい店を発見したりする、そんなところだと思っています。
今の下北沢は、「ひと」と「歩くこと」を中心に据えた街で、そこが魅力だと思います。そこに大きな道路と高層ビルというものを持ち込んでしまうのは、下北沢の魅力を大きく損なってしまうことにほかならないのではないでしょうか。
下北は私にいろんな事を教えてくれました。なんだかあったかい感じがする街。そんな下北が渋谷とか新宿みたうになってしまうのは絶対に嫌です!!
ライブ等をみに、ちょくちょく下北には行ってますが、うかつにも余りよく知りませんでした。
もちろん世の中にはいろんな事情があるのだろうし、災害時なんてことを言われるとひるんでしまう気もするが、それでも地元も、そして地元でない人々もこれだけ愛している下北をこれだけのお金をかけて強引に変えるだけのメリットがどれほどあるのだろうと率直に疑問。
もうちょっと勉強し、自分にできることはしたいなと思いました。
実は下北には数回しか行ったことないのですが、ずっと憧れでした。今も。変わってしまうなんてイヤです。きっともっと何か方法があるはずなんです。無責任にもそう思っています。応援しています。

私のブログの中で紹介させて頂きました。微力ながら、少しでもお力添えになれば、と。
http://pond.blog1.petitmall.jp/blog-entry-66.html
大好きな愛すべき町下北沢。学生の頃は毎週のように行ってました。
古着屋、古本屋、レコード屋、雑貨屋、飲み屋、ラーメン屋、クラブ。
私にとって青春のすべてがある町です。そして、これからもずっとあるだろうと思ってました。
大学を卒業して働きはじめてから、ちょっと足が遠のき、たまに訪れると少しずつ変わっている風景に寂しさを感じていました。でもまさか本当にこんな計画で町の姿が損なわれようとしているなんて!!
絶対に守りたいです。
10年前に世田谷演劇祭に参加したのがきっかけで下北沢と出逢いました。
先日駅前でチラシをもらい、道路敷設の計画を知り、激しく憤ってます。どうして放っておいてくれないんだ?訪れる人や住んでいる人が居心地よく思っているものを何故破壊しようとするんだ?・・・様々な街を均質化していくことになんの魅力があるのだろう。
いつだってカメラを向けたくなるようなエネルギーあふるる街のままであって欲しいと願い、賛同しました。
私はこの春、東京に来ました。
高校生になった時、好きなアーティストの関係で下北沢を知りました。
そして一浪までして、早4年がたち、やっと東京に来ました。
1年に1度は下北沢に来ていましたが長時間歩いて回ることはできませんでした。

でもこれからは、いつだって下北沢に行ける!そう思っていた私にはSWITCHの記事はすごくショックでした。どなたかも書いていましたが、私はこれからこの町と仲良くなれたらと思っていたので、それは本当にショックでした。
そして私は日ごろ、政治のあり方についても疑問を抱いていました。私はデザイナーを志していた事もあって、すべてはデザインという考えがあって成り立つものだと思っています。「再開発」といえば確かに聞こえは良いけれど、結果何をしたいかというのが、あまりに「お国」の都合でしかありません。その町なりのコンセプトがあって、それから再開発という言葉が出てくるのではないかと思うのです。人々が想像する未来、あってほしい姿、それを目標に動くべきだと。

私は下北沢ともっと関わって行きたい。それからこの開発の問題をきっかけに、日本全体の自治体が、人々が動いてくれたらとも思います。だからこの運動を応援します。
東京に出てきてすぐ、初めて下北に連れて行ってもらったときのことを忘れられません。街全体が静かにいらっしゃいって言ってるような。店が、探してほしがってるような感じ。すぐにバイト先を下北に決めていつか絶対下北に住む!!!って決意したのに。石原さん、あたしの住みたい下北を壊さないでください!下北を開発して喜ぶ人なんて、絶対にいませんよ。

save the 下北沢、マジで負けたくないですね!!
流れている時間、それによって関係しあって、様々な過程を経て物事はできていくということを考えられない行政。人がいる「町」を経て、人が行く「街」となる。
それが分からないのは、頭の次元が低いからだ。

まだ間に合うのなら、ここで人間を証明してほしい。
ここが変われば、日本も変わる。そんな気がする。
今日でも日本を芸者の闊歩する国と思っている欧米の人達は確かにいます。
しかし、それは視点を変えれば大変光栄な事でしょう。独自のアイデンティティー、などと難しい言葉を使うまでもなく個性を守る国として認識されてきたのですから。下北沢にも同様の素敵な個性の空気が漂う、雑多でいて不快でない、そういう雰囲気が「シモキタ」という地名を超えた文化の単語を産み出した筈です。

なのに、今まさにその紡がれてゆくべき伝統を押しのけ、踏み潰そうとする。物理的に留まらず、人の心にまで削岩機を下ろそうとする、この行為を、行政の決定を改めて蔑します。 そして今も戦い続けるこの運動を応援致します。

SWITCHを読んでこの計画を知りました。
私の住んでいる街である府中の駅前も再開発が進み、ずっと親しんできた商店街が消え、あとには大型複合商業施設ができあがってしまいました。そのまわりの道路拡張に伴い、駅前の町並みはがらりと姿を変えました。
最近同じ傾向にある町は日本中にあります。確かに便利にはなっていてそれを望む人、それによって利益を得る人がたくさんいるので、多くの街にとってこれは止められない流れだと思います。
でも下北沢はそうなるべき場所ではありません。私の街がそうなったように確かに便利だけど、つまんない。街にはなってはならないと思います。
この活動に賛同します。協力できることがあればやります。

LOFTのHPでこの活動を知りました。
私も下北が大好きで10年前に念願の店を一番街にOPENしました。 大好きな下北沢が変わってしまうのは我慢がなりません!
ほぼ1人で店をしている為 会合等への参加は出来ませんが 微力ながら店頭での署名活動と言うかたちでお手伝いさせて頂きたいと思います。
宜しくお願い致します。
私は今は墨田区の町工場が立ち並ぶ、いかにも下町的なところに住んでいます。
地方から引っ越してきて丸6年。木造の古びた駅舎が数年前、高架の巨大な建物に変わり、やがて現在はマンション建設ラッシュです。いつも通っているコンビニには様々な雰囲気の人が訪れ、狭い道路にも車が増えました。 もし、下北に大きな道が出来たら、道の為に無くなる物だけでなく、道路周辺には「下北」を売りにした、沢山のマンションや、増える人口に期待した大小様々な新規の店が立ち並ぶ事でしょう。万が一、道が出来てしまった時、今の街並や人達に活気は今ほど果たして残っているのでしょうか?将来、様々なマンション等の建設計画地に該当してしまった場所に現在いる人達の選択とは…
出て行く人と、入ってくる人の意識の距離は遠いはずです。地理的には利便性を重視してやって来る人が増えるでしょう。やがてどんどん新たに入ってくる人の割合が増えると、現在の下北の皆さんがマイノリティーになってしまうかもしれません。さらに遠い将来「下北」という名にピン!って来る人は残ってくれているのでしょうか?

少し離れた場所からですが活動応援させて頂きます。
下北沢。俺は音楽をしています。ライブハウスに行くだけでなく何気なく下北沢という街に行く。知人からこの話を聞かされて「まさか」と思った。俺が感じる下北沢という街の素晴らしいところ。渋谷や新宿、池袋など、いわゆる若者の集まる街がある。それらの街の多くは巨大な幾何学的な建物の中に店があり、まるで積み木で出来た街のようだ。でも下北沢は違う。一つ一つの店は小さく雑多であるけれども、その一つ一つが独立し、そして店同士、人同士が共存しようとする街の意志のようなものが下北沢という街にはあるということ。そんな下北沢という街をなくしたくない。下北沢という街はそれひとつで文化だ。文化は壊してしまったらそれを取り戻そうと思ったとき、生半可な努力では取り戻せないことは歴史が証明している。数字がはじき出す利益よりも、そこで生活し、その土地を愛している人間の声を大切にして欲しい。政治とは人を幸福にするためのもの。道路を作ることで計り知れない何かを僕たちは失ってしまう。その失ってはならないものを、僕は守りたい。
演劇の勉強をしたくて下北沢に引越しし、はや9年。東京に出てきて11年ですから、ほとんど下北沢に私の東京生活がつまっています。今はバンドをしています。バンドのHPがあるので、そこにリンクさせていただきました。
よく迷路だといわれるこの下北沢。入り組んだ街並み。実家に帰り、またこの下北に帰るとホッとする。そう、ホッとするんです。この入り組んだ街並みが。それを26mもの道路を作るなんて・・・。駅も地下になってしまうと聞きました。それは止められないみたいですが。26m道路だけでも、意地でも避けさせたい!下北が下北じゃなくなる・・・。
便利な世の中です。人は便利を求めています。時代の変化、そういわれれば仕方のないことかもしれませんが、なくしちゃいけないものもある。
ホッとする場所はなくしちゃいけない。下北は大事な大事なホッとする場所なんです。
活動頑張ってください!!!
なにかお手伝いできることがありましたら、させていただきたいと思います!!!
上京して早6年。最初に遊びに行った街が下北沢でした。
人も街もあったかくて、都会になれなかった私には安心できる場所で。
行政がやろうとしていること、絶対反対です。
今の下北沢を守りたい!!!!
高校の時から買い物はいつも下北。下北はファッションも音楽もなんでもあって、それでいて流行りに流されていない感じが大好きでした。店がこまこまあるのがおもしろくて、行けば行くほどハマる街だと思います。 あの中に道路がある図なんてまったく想像できません。 似合わないです。
いつか下北に住もうと思っていたのに、そんなことされたら困ります。
道路作るなら他でやってくれ!と言いたいです。
3/12、音楽堂であったコンサートでこの事を初めて知りました。
ビックリです!もともと全く縁の無かった場所ですが、ここ数年何かと下北沢とゆう街に来る用事があり、すっかり気に入ってしまった私は一年半前、引っ越してきてしまいました。。徒歩圏内に在住の為、下北のスーパーで買い物をし、セロリが飛び出した買い物袋をさげて帰る有様。今では無くてはならない生活の場です!!学生時代の大半を葛飾区の下町で過ごした私は、この街を懐かしくも感じるのです。
下町だか都会だか良く分からない、生活と遊び、こんな素敵なモノが融合した街を無くしてはいけない!!!
私は今まで数回しか下北沢にいったことがありません。
でも初めて行った時に街の空気、建物のちょっと古ぼけた感じ全体的にこじんまりした雰囲気、そこにいる人たち・・・大好きになりました。
私の地元も近くに大きな道路ができその時には地元住民で反対運動をしていました。
みんな「道路なんかいらない」と叫んでいました。結局道路はできてしまいましたが車はほとんど通っていません。道路は誰の為に作るのですか? そこにいる人たちはいらないと言ってるものをどうして作るのですか?
もちろん、政治家の方たちのおかげで楽になったことやありがたいと思うこともあります。 でもこんないい街を潰してまでこの道路を作らなければいけないのか疑問であり、私は断固反対します。

『音楽は世界を変えられるか?』のイベントに参加してこのニュースを知り、ビックリ仰天しています。
石原慎太郎になってからの行政は本当に頭にきています。
立川や葛飾でのビラ撒き逮捕、WPNでの逮捕、反戦落書き逮捕、不起立教師の処分などは耳にしていましたが、私たちの文化的支えの町のひとつである下北沢の景観が壊され、大型道路を作るなんて絶対許せません。
出来る限り協力します。

3/1付ブルータスで下北沢の危機を知りました。
私は学生時代(96年〜)、大学が近かったこと、住んでいたところが吉祥寺であったことから、下北沢でよく降りて遊んでました。あの雑多な感覚・普段着感覚の街が、18の頃の僕らにとてもフィットして、居心地の良さを感じたものです。
ここ何年間、下北沢へは行っていませんが、いつでもあの頃の姿を残していて欲しい。そういう思いから、参加させていただきます。

はじめまして。
私は駅前の某コーヒーショップで店長をしています。
下北沢が好きで、アルバイトでこのお店に入り
お客様がくつろいでいる様子や駅前の賑わいを見るのを楽しみながら働いているうちに
いわゆる雇われ店長ではありますが、お店を任されるようになりました。
もともと音楽が好きで下北沢に通っていて、中学生の頃はギターを習いに来ていました。教室に行くとスタジオから出てきた革ジャンのおニイちゃんに「ギターやってんのか、今度ライブみにこいよ」なんて声をかけられたり。気さくでカッコいい大人がいっぱいいるこの街にどんどん惹かれていきました。今でも音楽と仕事を通じて、毎日の刺激と安らぎを楽しんでいます。
この計画について、商店街のチラシなどで存じてはおりましたが、年月をかけ熟してきたこの街の雰囲気・魅力があまりにも大きく失われる可能性のある計画には、私個人としては反対です。
また、当店には年配のお客様が時間帯を問わず多数来店され、中には車椅子や杖の必要な方もいらっしゃいます。車の交通量が増えれば、そういった方々の通行が容易ではなくなる可能性もあり、大変心配です。
下北沢に集まってくるアートや自由や音楽を愛する若い人々が、少しでも行動し、街の魅力を維持し向上させる力になってくれれば、とても素晴らしいことだと思います。
かけがえのないものが大きな力に流されないように、
微力ながら応援しております。
私はまだ、下北沢をよく知りません。
私の好きな人たちが愛した町が、
自分が知ることなく崩れていくなんて嫌です。
まだまだ知りたい。
もっともっと馴染みたい。
沢山の人と繋がっていける暖かい町だと思うから。
同じ思いの人のためにも、
好きな人たちのためにも、
私も何か、したいです。
流行の先端と時が止まったような空間が混在している雰囲気。車を気にしないでそぞろ歩きができる下北沢がとても好きです。すぐそこは新宿、渋谷なのにまだまだ人と人とのつながりのあたたかさが感じられる街は東京の中で貴重な存在だと思います。便利さを追い求めるあまり、こんな素敵な街が潰されてしまうのは、とても悲しいです。微力ながら何かお手伝いできることがあれば、ぜひ協力したいです。
私も下北を愛するものの一人として、この酷い都市計画に反対します!!
かつては大好きな祖母らがこの街に住んでいました。私も母も下北の祖母らの家に通うのを楽しみにしていました。今でも下北が大好きです。
下北沢は他の街とは違い、安心感があります。混雑も少なく落ち着いて、またどこか懐かしい雰囲気がそこにあります。
雑貨も服屋も食べ物屋も、すべてがそこにそろっていて、かつ行きかう人はみんなせかせかしていなく、とにかくいい街です。
この街を消し去ってしまうなんて・・私は、下北を守るために全力をつくします!!
・下北沢は東京の中でも稀有な魅力を築き上げた街だと思います。魅力あるがゆえに、現地住民のみならず、他の多くの利用者に反響を呼んでいるのでしょう。だから何もするな、とは言えませんが、その魅力を大切にする多くの人びとの思いを十分踏まえた上での計画が成されるべきだと思います。
・先日、この運動に関わる一人に紹介され、その場で署名もしましたが、署名だけでどうにかなる問題ではないと思います。都市計画をめぐる行政訴訟は概して国民にとって非情なもの。単に共感を呼んで、なんとなくまとまって不平不満を交わすだけの運動に終わらせず、現実に何らかの変化・効果を及ぼすような具体的成果を期待します。自分ももう少しいろいろ勉強してみようと思いますが、何か具体的にできそうなことがあれば、メルマガを通じてでも、呼びかけていただければ幸いです。
去年の夏に下北沢近辺に越してきた者です。それまで下北沢には足を運んだことは無かったのですが、引越し後初めて訪れてみたら、もうその魅力にとりつかれてしまいました。
補助54号線のコトはテレビ番組の紹介で知りました。世田谷区の細かい事情と、補助54号線を作るコトによって生まれる利益(区にとっても民間の人にとっても)がどの程度のものなのか私にはサッパリ分かりませんが、この計画によって今の下北の魅力が根底から破壊されるコトは容易に理解できました。
私もSTSKの皆様の考えに賛同します。なにぶん学生の身分なので、具体的な協力をさせていただくのは少し難しいかも知れませんが、私一人の登録によってほんの少しだけでも力になれたらと思い参加させていただいた次第です。
具体的に何が出来るのか、何をしたら良いのかはまだわかりませんが、大好きな街であり、大切な居場所でもある下北を守りたいです。
上京して3年、ずっと下北を歩いてます。
朝からカフェでお茶をして、バイト先では常連さんが絶えなくて、同じ夢を見て、応援し合える人達であふれてる、このあたたかい街が私の生活の場です。
私も何か、出来ることがしたいです。
同居人が管理人をしているサイトの掲示板での書き込みで今回の件を知りました。
私は足立区の北千住で生まれ、都内のあちこちの街で、音楽や映画や芝居など、今の自分を培ってくれた全てのものに触れました。街の景色もまたしかりです。
下北沢は中でも忘れがたい街であり、縁あって2000年の下北演劇祭にも参加するなど、つかず離れず私の中にある大切な場所です。
ことは下北沢だけにとどまりません。東京をこれ以上つまらない場所にしないためにも、できることから始めたいと思います。
初めまして、こんにちは!ニュースで知ってて、気にはなっていたのですが、この様なHPがあると知って早速書きこみをさせていただきます。
父が演劇関係の仕事をしていたので、子供の頃から下北の劇場には通いまくっておりました。学生時代にはそれにプラスして買い物、社会人になってからはプラスしてライブ…と、生活、仕事に欠かせない街となっております。
…違う。そんなキレイ事じゃない。確かに必要な街だけど、私は単にこの街が好きなんだーーー!!!あの雑多感、芝居の街、そして音楽の街。先人達が築き、守ってきた下北沢を、我々が守っていきましょう!!!
代田に住んで8年になります。その間、下北沢でいろんな出会いや人間模様を見てきました。駅前の時計台に腰をおろしているとご近所のお年寄りに声をかけられ、何十年前の下北の様子を聞かせて頂いたり。。。
70年代位の男性が20代のタトゥだらけの男性からたばこの火を借りていたり。。。下北駅近くの小さな商店の店長さんにうちのペットのご飯をプレゼントされたり。。。本屋さんの外に置いてあるワゴンが急に走り出してしまい、見知らぬ人同士で散らばった本を拾って笑いあったり。。。そういった小さなふれあいとか世代を超えて街の中で自然にふれあえるのには、単にそこにいた人たちの心のもち方だけではなくて、下北が好きで集まった一体感とか、街の雰囲気も含まれてるのかなって思ってます。都市開発して交通の便も良くなって、新しいお店も出来て街がきれいになって。。。悪いことではないかもしれないけど、そんな街はたくさんあるのでは?下北には他の街にはない何かがあるのでは?それを壊してしまうのは本当にいいこと?頭の中にたくさんの?が浮かぶし、なにより。。。なんだろうとても大切な人を失ってしまうようでとっても寂しいです。この8年間、私を守ってくれたこの街をこのまま残したい。次の世代にも見てもらいたい気持ちでいっぱいです。
ながながと乱文を失礼致しました。
たまにしか行かないのですが、私は下北沢が大好きです。東京の中で一番好きな街といっても過言ではないです。下北沢で路上ライブしていた人が好きで行くようになったのですが、下北沢は、歩いていて楽しい街ですよね。ライブハウスとかいろいろあるし、おしゃれなカフェもいっぱいあるし、私にとっては憧れの街なんです。そんな街が変ってしまうのはいやです!
何かできることがあったら協力したいです。下北沢を守ってください。
人々が築きあげた独自の文化を持つ街を残したいです。
都市計画って誰の為のものなのでしょうね。
私は下北に住んでいたわけでもなく、知り合いを訪れるときに何度か、足を踏み入れたことがある程度ですが、自分にとってとても落ち着く、居心地のよいと思える町のひとつです。あの雰囲気は作ろうと思って作れるものではないですよね。森林などの自然環境と同様に時間をかけてゆっくりとあるべき様に成長したものだと思っています。そのような貴重な文化財産を画一的な様相に変えることは非常に残念でなりません。下北を守るため、できる限りお手伝いしたいと思います。よろしくお願いします。
道路計画のことは以前から知っておりましたが、今回ポストのチラシを拝見し生まれ育った町が変わってしまうという現実を目の当たりにしました。学生の頃から通いつめたLIVE HOUSEや腰を曲げて売っているおばあちゃんの漬物、他にも数え切れないくらいの沢山の魅力があり、未だに発見しきれない事も沢山あります。
どうかずっと変わらず来る人を温かく見守れるような町であってほしい!
私は世田谷に25年間ずっと住んでいます。
初めて下北沢に行ったのは中学のとき。ジーンズメイトで買い物して、マックで昼飯。高校のときはデートでまちをぶらぶら。大学のときは飲み会でばか騒ぎ。そして社会人になってからはたまの休日にひとりで気を休めに。
そんなこころやすらぐ町を壊さないで欲しいです。「無機質」な町にして欲しくないです。何か目的がなくても気軽に遊びに行ける町は貴重だと思います。
東京マガジンを見ました。
仕事の都合で週末の活動とかは、参加してませんけれど下北沢(現在の)が大好きなのでこの計画には賛成できません。この計画を知った時から疑問なのは、駅前まで車が乗り入れられる道路が本当に必要なのかどうかです。別に車で駅前に行く必要は無いと思うし、インタビューにもあったけれど「ごちゃごちゃ商店が並んでいる」のが下北沢の魅力だと思います。
街ずくり・・・の人が答えたように駅前の広場があればそれはとてもいいかもしれない。でも新宿の西口みたいになってしまったら今のように人が集まらないよ絶対!今、これだけ活気がある街を壊してまで計画を強行したら逆に寂れてしまうのではないでしょうか?
最後に、この計画は、誰のための計画なのでしょうか?地域住民 商店 ひいては下北沢の発展のため?ふざけないでください。前述のようにとても下北沢の発展につながるかはまあ疑わしいし。
商店も立ち退きを迫られる店が多すぎると思います。
計画推進派の人たちの意見も聞きたいのでメールマガジンに乗せられないのでしょうか?
Save the 下北沢のみなさん、よろしくお願いします。
下北の雰囲気が好きで下北にすんでいるのにそれをめちゃくちゃにされるのは、非常に悲しいです。夢を持って集まる人たちを町が優しく守っている感じがなくなってしまいそうでホントにやめるか、何かしら方法を変えてほしいです。
反対運動、がんばって下さい!!
都市計画など勉強している学生で、中学の頃からライブをみるために下北沢に通いつめていました、今でも本当によく足を運びます。

微力ながらなにかできればと思います。
わたしのブログにかいた記事です)
先日、テレビで道路計画のことを知りました。札幌でもここ最近、国道の拡張や新しい道路が作られてきましたが、下北沢の道路計画は度が過ぎると思います。テレビで見た限り、下北沢にはライブハウスや商店街があり、そこの人達はとても生き生きとしている様子が伺えました。札幌には、こういった明るくて賑わいのある街は本当にわずかしかありません。そんな街が、たった一本の道路のせいで崩れてしまうのは、とても寂しいと思います。
少しでもこの下北沢の街を守れたらと思い、家族分の署名をお送りしました。今後、知り合い等をまわってこのような街があることを理解してもらって、署名を集めてお送りしたいと思います。
シモキタの皆さん、すばらしい街を守るために頑張ってください!
高校生の時、はじめて訪れた下北沢。道が複雑に入り組んでるから1度訪れた店に再び行くのは一苦労。でもひたすらに歩いて歩いて、今ではしっかり頭にインプット。
高校から服を買うのは下北で、髪の毛を切るのも下北沢。恋人や友人と遊ぶ場所も、1人で飲みに来る場所だって下北沢。そして、頑張った自分にあげる御褒美は「下北散策day」。
こんなにも足しげく通った町はない。
高校生の時はなんだかトレンドに乗って服とか買って満足したけれど。大学生になって、なんで下北沢を好きか考えた。今一番好きなのは、下北沢一番街商店街。
僕は、知らず知らずのうちに古きコミュニティーと新しきコミュニティーが融合した商店街に惚れていたんだ。
僕が知っているコミュニティーは、いつでも新しさを謳った大型ショッピングモールにアミューズメントパーク。マニュアル化されたサービスに、嘘っぱちの笑顔に満ちている。
そんなうざったい存在が、知らず知らずの内に僕ら若者の感性を壊してしまった。
下北沢には、僕らが求めているものがある。
それは無意識の内に大きくなり、大きな夢さえ与えてくれる。
カチンコチンのビルディングはもういらない。
 2001年春、旧第一勧銀の線路をはさんだパチンコ屋が解体され、空き地になり、アスファルトを敷かれ、あっという間に金網で囲まれた。私はその時、将来訪れる下北の街の強制的な変化を直観した。ちょうど前の職場で企画した展覧会のカタログ・テキストの冒頭でそのことについて触れた。「資本主義と交通のテクノロジー」による街の解体構築、「風景の精神的外傷」(「テクノ・ランドスケープ−世界の新たなテクスチャーに向けて」展)。
 この変化は2004年12月現在、加速を続けている。変化してしまった街並みと我々の遊歩は消失し記憶の底へ消えていく。変化を記録し、その落差を表現すること、それも批判的な機能を持ち、芸術の一つの役割である。
家から遠いながらも古着が好きで下北沢にはよく行きます。先日TVで見るまではこんな計画知りませんでした。下北沢は僕にとって沢山の思い出がある大好きな町です。現代の画一的で個性のない文化の中、とても貴重な存在だと思っています。
道は複雑に絡み合っていて、その間にいろんなものが雑多にあって、いろんな店があって、なんだか楽しくて新鮮で、いろんな人が自然に集まってきて、道行く人は個性的で見ていても楽しくて、、、そんな町なもんだから、少しくらい交通や通行が不便でもつい何度も来てしまいますし、他の町と違いぜんぜん飽きません。
もし下北沢が計画通りに整備が進んだら、はっきし言ってもう通う理由はない、僕を含めこんな思いの人は沢山いるはずです。なにせあの計画のような個性のない町なら他にもたくさんあるわけですから、わざわざ行く意味がなくなるのは当然です。これは広く社会を見てみれば簡単にわかる話です。通う人がいるからにぎわっているのであって、交通の便が良くなっても人が来ないんじゃ意味ないですよね。
行政には税金の使い道として、「変わったほうがいいもの」と「変わらないほうがいいもの」の区別をしっかり考えてなおしてほしいです。環境問題やあの道路の価値やいろんな人の言い分を考えると、個人的には下北沢はどう考えても後者になると思いますが。
自分の町でも意味不明な開発がどんどんされています。市民が意見を言わないのも原因ではあると思いますが、地域の行政には、国や法、ルールに従うのではなく、その地域の特性や時代の背景を冷静に見てほしいですね。

噂の東京マガジンを見ました。東京生まれ、学生時代までは井の頭線が私のテリトリーでした。シモキタは猥雑な雰囲気こそが宝です。何回歩いても覚えられない路地がいっぱいあって、それを征服しに毎週、毎週さまようのが、私の楽しみでした。地元の方の問題は何ですか?なんとか現状維持で、みんなが喜べる方法にして欲しいです。

一昨年、昨年と北関東エリアの街情報記事を少し担当し、栃木・茨城・群馬の主要都市をまわりました駅前はどこもシャッター通りが目立ち、幹線道路沿いにファミレス、スーパーなど大型量販店がにぎわうのもどこも同じ。“地元の名店”が、“全国の有名店”にどんどん変わっています。道路がきれいになって便利になると、地元の方は思っていたはず…
首都圏でも同じようなことは起きていますよね。駅内構内のショッピングモールも最悪だと思っています。東戸塚の駅前開発は、駅からペディストリアンデッキで、百貨店・大手スーパー経由で公園・マンション直結!
おかげで、誰も地面に降りずに通勤できます(笑)
これで、地元に幸せが来るはずがない

ああ、街は人が歩き、立ち止まり、滞在してこそです
なんとか、いい着地点をみつけられますように!!
がんばりましょう

80年代初頭、毎週のように通っていたので「どうせなら住んだほうが早い」と思って引っ越しました。12年間住んでました。
今では街の雰囲気も少し変わりましたが、今回の計画のように激変させてしまうのはマズイ。計画を知れば知るほど大手資本のための計画になっている気がします。
昔から、地元では騒がれていましたが、まさか! という感じです。
私が生まれて間もない頃には、地元に店がなく、毎日母と下北まで歩いて買い物に行くことが多かったので、思い入れもひとしお、ふるさとのようなものだからです。まだ、足元もおぼつかない3歳の私は、足にマメを作りながらも、下北への道を往復してました。小学生のときも、中学生のときも自転車で学習塾に通いました。その後演劇をはじめたのも、下北が近所だったからに違いありません。 あれから、だいぶ町並みは変ったものの、それでも昔の面影を残した、思い出の町、商店街、お店のオバちゃん、おじさん。
そんな大切な全てを奪うなんて許せません!
一部の者の一時の私利私欲のために、歴史や自然が一瞬にして壊されていくのがたまりません。
二度と戻らない。

純粋で芯のあるこの活動を応援します。微力ながら。
できることからやっていく。

ROCK関係のBBSを見て慄然としました。まさか、という言葉以外ありません。今は千葉の田舎暮らしですが、6月まで東京にいて、実家も東京。高校は「明大前」近くだったので、30年くらい前から下北沢は、自分の「庭」のようなものでした。

東京に暮らして(小金井市民)いても、たまにフラッと行きたくなるのは、下北沢であって、街を歩いていてもホっとする場所でした。
酒飲んだり、デートしたり、レコード買ったり・・・。街並みはかなり変わってしまったが、今でもイーハトーボやトラブルピーチがあったり、三福林があったり。街を貫く幹線道路がないので大型再開発だけは無い街と思っていたら酷い計画です。

結局、再開発に群がる大型資本の企業の論理に街や地域が崩壊していくだけである。許せませんね。

私にとって、準地元の下北の改悪にはだまっていられません。
子供の頃から遊びに行っていた街がひどくなるのはゆるせん!!
いまは経堂に住んでいるのですが、経堂駅前も再開発が進んでいて、小田急電鉄所有の広い土地の計画がまだ発表されていなくて、そこに高層の小田急本社ビルたつんじゃないかとかの噂もあります。もう日本に高層ビルは要らない。右肩上がり的発想に基づいた開発は要らない。スローな(ちょっと手垢の付いた言葉ですが)街づくりを目指したいものですね。

あまりにも横暴な計画から下北沢をなんとしても救いたい気持ちでいっぱいです。

残念ながら現在アメリカに在住しているため直接の支援は難しいかもしれませんが、なんらかの形で協力したいと思っています。

下北沢に移り住んできてからはまだ2年半ですが、このまちのごっちゃ煮のような猥雑さがすごく気に入っています。

職種や年齢のへだてなく多様な人々が出会える空間で、しかも地域に根ざしながらも、いわゆる地縁血縁関係に根ざすのではない、さまざまな人々に広く開かれた地域性って、シモキタが作り出してきた非常に重要な文化だと思っています。
それこそ、これからの社会のありかたを展望していくにあたっても非常に重要な文化拠点になるんじゃないかと。

そんなシモキタ的なものを決定的にこのまちから奪ってしまう下北沢再開発には、とても賛成できません。

近いうちに月例会にも参加させてもらいたく思っていますので、よろしくお願いします。

高校の頃、バンドが好きでブルースが好きで遊びに来ていた頃から数えれば、すでに人生の半分以上をこの町で過ごしています。第2の故郷とも言える町です。
今回の件については、ただただ情けないというしかありません。

防災に強い町を作る必要性は理解できます(今回の地震でまたそのあたりがつつかれるかもしれませんね)。
しかしそれを盾に、ガイドブックに描けるような町を作っても意味がないはずです。大雑把な言い方になりますが、アンチ六本木ヒルズ的な立場がシモキタの良さのはず。

そんな町が一つくらいあってもいい。
横並びの風景はもういらない。

花やしきや浅草が、ヘンに色気を出して近代化するより、多少不便でもその良さを認識した時に輝きだしたのと同じように、どこかに道はあるはずです。

その中で、シモキタに嫌気がさして出ていった人たちの思いもくんでいけたらいいですね。確かに住民としては、今の人ゴミや、マナーの悪さをヨシとは思えません。また、特に南口に限っては、生活用品を売る店が激減してしまいました。
そういう意味で棲みにくいな、他に住もうかな、と最近思っているのも事実です。

しかし、16になろうとする息子もしもきたっ子。
彼はあまり引っ越しに乗り気ではありません。
「なんにもないけど、悪くない町」と言いながらも、結構この町が好きなんです。

またタウン誌をやっている時に、結構、お年寄りが多い町だとも耳にしました。そういう方々への配慮や、大人がゆっくりできる場所のある町づくりも急務かなと思います。

皆さんがんばってください。

私は高校生になってから下北沢に初上陸し、下北沢の良さを知りました。
まだ私は若いから下北沢の良さの半分も理解できてないかもしれません。
だから私が歳をとって大人になったときにこの街が変わっていたら悲しいんです。
こんな街は数少ないと思います。難しい話はよくわからんけど、反対です。

以上。
私は大阪在住の身でありますが、東京には知人友人が多数おりまして、2ヶ月に1度くらいのペース(最近はペースが落ちてますが)で東京に足を運んでおります。
下北沢は東京の中でも大好きな街です。
お店ひとつひとつ、街を歩く人たちからも、自由な空気や街を愛する情熱が伝わってきて、いつもお腹いっぱい、胸いっぱいにさせてくれます。

今回、道路建設計画の地図を見た瞬間に、街がつぶされる!と恐怖を覚え、参加表明させていただいた次第です。

大阪にも、下北沢と似た「アメリカ村」という活気のある街があります。下北沢ほどではありませんが、小さな店がひしめき、半ば歩行者天国のような自由さ、そして音楽の絶えない、熱をもった街です。このアメリカ村が同じように道路でつぶされたらどうなる?と置き換えて考えもしました。人をおしのけて道路がつくり、それが防災なのか?と。ついには怒りさえ覚えました。

下北沢には音楽だけでなく、本多劇場など人々に愛されて育った芸術がありますよね。それらも全てひっくるめてつぶされるわけにはいかないと思います。

あの活気をつぶすなんて、行政の考えるそれはもはや人間の考えることじゃない。
くつがえしましょう、人の手で。
遠いところからの参加では新記録でしょうか、フランスに住んでいます。といってもスイスとの国境近くで、勤め先は、ジュネーブですが。元ご近所の皆様、長らくご無沙汰しております。

下北沢は名実ともに私の故郷で、小田急の地下工事の話はちらと聞いていましたが、道路の計画とは驚きました。40数年前に下北沢一番街の一角で生まれ、子どものころ父の転勤で他所に住んだときも、夏休みやお正月に「帰省」する先が下北沢でした。結婚して最初に住んだアパートも下北沢でした。離れてからずいぶん長くなりますが、スイス生まれの子ども3人とともに、今でも本籍を北沢3丁目にもっています。

遠くから想う故郷が、記憶の中だけのものになってしまわないことを願うばかりです。
はじめまして。54号線の計画に関して、Queに張られていたチラシで最近になって知りました。街は住人とそこに集う人々のもので、行政(区)のものではありません。(行政とは本来それらの人々の意思を指すと思うので矛盾していますが)。

世田谷に住んで15年あまり、私もいちばん好きな街、下北が愛されている理由を考えると、54号線が必要な理由は見当たらないと思うのです。大きな道路が通り、車が侵入してきてぶらぶら散歩できない下北になってしまったら、この街の意味がなくなってしまいます。音楽・演劇・ファッションと独自の文化を持ち、育ててきた下北が新宿や渋谷と変わりない街になってしまいます。東京は世界の都市と比べてもいろんな街があって、それぞれの顔があるのが魅力といわれています。どこの街も同じような顔になってしまってはつまらないし、この街が育んできた文化を残し、発展させる意味でも、皆様の活動を支持いたします。また可能な限り活動に参加させていただきたいと思っております。
シモキタは、わたしが生まれ育った街の次に長く住んでる町です。もうあと2-3年で、生まれ育った故郷と同じ年数になります。

ちょっと家賃の安い地域に引っ越したけど、わずか1年でまたシモキタまで歩いていける場所に戻ってきてしまいました。

なのにこのこと、全然知りませんでした。

防災に、最も優先される、本当に必要なことって、道路?
そうは思わないけれど。
 住んだ事はないけれど、小さい頃から慣れ親しんできた町が壊されちゃうのは嫌だ!細い道がいくつも入り組んで、隠れ家みたいなお店や、レトロな雰囲気を残した建物や、どこか、昭和チックのカッコイイ町を、デッカイ新品道路が横切るなんて絶対に許せない!
 下北沢だけのことではないが、
大好きな下北沢をきっかけに今回のことを知った。
道路のない所に道路を作る。
それにより便利になるかもしれないけど、
便利になることが、必ずしもプラスに向かっていることではない。
あらゆるものが進化しすぎているこの時代、
それを作り出した私たちが
結局は窮屈になっている気がする。
生きていくには、もっともっとシンプルで良いのに。
大切なものを残していけるように頑張りましょう!!
 下北が下北で無くなってしまう。
そんなに悲しい事が他にあるでしょうか?
下北を愛する多くの人達で協力し合い、なんとしても守っていきたいですね。
私も演劇、そして音楽を愛する一人の人間として下北沢を愛し続けて行きたいです。
これからも頑張って下さい。